灯りを探してまちを歩く。右手にはちょっと重いカメラ。
気づけば歩いたことのない街道にいて、家を出てから九十分ほど経っていた。
まだまだ知らない道があると思うと、生活の息苦しさが少しやわらぐ。
散歩はいい。
体力がすっかり落ちていて情けない。駅の階段を登っただけで息切れして、体力低下と体重増量を思い知る。
もうそろそろ涼しくなったし歩こうかなと何度目かの決意を語るわたしに、友人が「カメラを持っていけば?」と言った。
たしかに。四国での養生避難生活はカメラが友達だった。
あのときは大袈裟なレンズをつけて歩くと通報されそうな田舎だったので、こそこそと撮っていたけれど、千葉ならもっと堂々と歩けるかもしれない。
ということで仕事がひと段落ついてから、カメラとともに歩いてみた。
当たり前だけど写真は光がないと撮れない。夜道の灯りを探しながら歩いた。
街灯、看板、信号、店舗照明、家の灯り、車のライト。夜でも光はそこかしこにあるんだなと気づく。
路肩に生える一本の白百合を見つける。いい感じでヘッドライトをあててくれる車が通るのをじっと待つ。
面白いものと光と撮れそうなものの交わるところを探っていくと、思わぬものに出会う。数十回シャッターを切ったけど、選んで補正したのは八枚だけ。
まちの見え方が変わり、散歩が楽しくなる。
これはよいかもと思い、しばらくカメラ散歩を趣味にしようと決めた。
懸念していた原稿も進め方が見えてきたし、みんなで協力できているし、よい日よい時間。
あとはまめが噛みさえしなければ完璧なのに、今日も噛んでくる。痛い。