炭火でじわじわ、イカを焼きながら思った。そうだ、あのお店に行ってみよう、と。
反り返るイカを待たせ、メッセージを送ってみる。
翌日、急な連絡にも関わらず、Kさんが店頭で迎えてくれた。
訪れたのは尾山台の「ワープホールブックス」。六月にオープンしたばかりの小さな書店だ。
オーナーでありデザイナーでもあるKさんとのご縁は……いつからだろう。ちょっと記憶にないぐらい昔。
できたての本屋さんは、まちにあることの意義を頭から爪先までしっかり意識したデザインの賜物だった。
優しくて、工夫があって、あちこちに小さな出会いの仕掛けがある。強い思想より前に、穏やかな生活との塩梅が守られ、それでもなお意志を感じる品揃え。
いいお店だなぁ、今時だなぁと思いながら、きぐう編集室の本も置かせてほしいと相談した。
Kさんは前々から日記を読んでくれていたので話がとてもはやかった。ほっとする。
早速納品させてもらった日記本を前に、たくさんの質問と感想を受け取る。
・主観と客観のバランスは?
・職能を実生活に活かせるのはなぜ?
・エッセイでも日記でも小説でもないこのジャンルはなんだろう?
・すべてにちゃんと「ものさし」が設定されてるでしょう?
・どうしてこの文体に?
・覚えておくために記録している? それとも忘れるために記録している?
・どうしたら自分もざらりとしたことも含めた日々の記録が残せるだろう?
・『家を継ぎ接ぐ』には救われた。どこかで皆抱えてる話だと思う
Kさんが突くところは鋭い。冷や汗をかく。
面白がりかたが面白いというか、仕事人的だ。おかげでずいぶんおしゃべりしてしまった。
尾山台を出た後、環八沿いを歩いて九品仏周りで帰る。本をたくさん買ったのでリュックが重い。
ここは二十代を過ごしたまち。今とは全く違う生活。行きも帰りも東急線の乗り継ぎを何度も間違え、生活のコンパスを失くしていることに気づいた。
そんなまちの一角に、千葉生活の記録を置かせてもらった。記念すべき初営業。
記録を綴るのも、編集して本にするのも、それを売るのも、活動をネタに人を訪ねたり話したりするのも、どこか「まじない」じみている。
金銭の身入りがいいわけではない。全くない。むしろ赤字だ。でも別の身入りのためにやっている感じがする。
Kさんのように面白がってくれる人は「どうやってやってるの?」とは聞いても、「なぜこんなことやってるの?」とは聞かない。
「この人にとっては大事なんだろうな」という暗黙の了解のもと、見守られることで、「居られる」感じがする。ありがたい。