転換点ふたつ。
大家さん先生宅のエアコンが壊れたり、生徒さんがコロナ陽性になったりして、ちょっとイレギュラーな稽古日。
珍しく先生も洋服で、エアコンが唯一効くらしいリビングの一角でマンツーマンのお稽古をすることに。
洋間でも道具と建具を用意すれば、ちゃんとお茶の場になるというのがおもしろい。
そんな日は茶菓子までなんだかイレギュラーで、宇宙人みたいな不思議なデザインで笑ってしまった。
一応、花火を模した練り切りらしいのだけど、目鼻っぽい飾りがあって、どうしたって新種のゆるキャラに見える。かわいい。
そんな不思議な日に限って話は進む。ひとつは大家さん先生からの提案。
「わたしね、今、六十八歳なのよ。最近、七十五歳の人でそろそろ辛いからお茶を辞めるという人がいて。わたしもそのくらいまでが元気なのかもと思ったの。だから、わたしを師匠として生徒さんが茶名をとるならあと数年しかないの。どうする? 茶名とるところまで目指す?」
答えに詰まってフリーズしてしまった。……難しい。
裏千家で茶名をとるには、いくつも級をとり、費用もかけないといけない。
わたしの場合、資格が欲しいとか特技が欲しいとか作法を極めたいではなく、もともと大家さんと仲良くなった成り行きではじめた茶道だ。
先生独特のゆるやかな雰囲気が楽しくて通っているのも正直なところ。めちゃくちゃ不真面目な弟子である。
もちろんお茶そのものはすごく面白いし、それなりに稽古しているけど、この先、級をあげていく目的でゴリゴリ勉強したり、決して安くはない免状のための費用を積んでいくことは想定外だ。
どうしよう、どうしよう、と唸る。
でもこの先生に習えるのは今しかないのだ。あとたぶんわたしはこの先生じゃないと続かないだろう。
「中級、上級に進みながら考えてもいいですか」とひとまずのお返事をした。
野良の茶の湯でもわたしは構わないのだけれど、先生への恩義みたいな動機で目指してもいい気がする。わたしが茶名をとったらきっと喜んでくれるだろうし、先生への金銭的なお返しもできる。
血縁でもないのにこんなによくしてくれてる人と、形のある結びつきができるのは悪くはないのかもしれない。
もう少し悩もう。
それともうひとつ、今日は大きな転換点があった。
ついに日記のことを大家さん先生に白状したのだ。
どうしようかなと思いつつ、わたしが公開日記を書いていること、それを本にしていること、そこには散々先生が出てくることを実は今まで報告してこなかった。
わたし自身も先生も匿名だし、プライバシーを明かすようなことは書いていない。
とはいえ、人の生活に関わることを、勝手に公開記録しているのは確かだ。
引っ越してきたタイミングで先生との関係を含めた記録をはじめてしまって、その後まさかの主要登場人物になってしまって、他の友人のようにSNSを見ているわけでもないしで、言い出すタイミングを逃していた。
そろそろ限界だ。
なんとなく、今日このタイミングな気がして、稽古後に展覧会のチラシと招待券、そして今までに発行した三冊を持って行き、説明した。
勝手にすみません、と、謝るわたしを前に、先生は「え、匿名なんでしょ? じゃあ構わないわよ。それにすごいじゃない! 本も綺麗ね」と、軽く許してくれた。
「他の生徒さんにもチケット配るわ。美術館行くわよ!」とのこと。相変わらず優しすぎて、ぼーっとしてしまった。
今、わたしの生活における優しさの半分は大家さん先生、残り半分は機嫌のいいときのまめとネギでできている。