四国から届いた荷物は六箱。一週間かけてようやく荷解きが終わり、仕事も生活も通常に戻りつつある。
養生避難中に書いた日記は二万字超。いつもの文庫サイズに収めようとすると百四十ページ以上になりそうだ。読み返しながら山散歩が恋しい。
今日はデザイナーのGさんと展覧会用の日記サイトについて打ち合わせをした。
気づいたらできていたモックは、本がウェブに展開されたような、ちょっと見たことのないインターフェイスで驚いた。
感傷的になりすぎず、冷たくもならない絶妙なデザイン。さすがだなぁと思いながら、この楽しい制作物のため、新しいドメインの契約をした。
日記を書いては本のかたちに編むという、個人的な活動に出展の声がかかってから一年ちょっと。はじめは冗談だと思っていたのだけれど、本当にこの夏開催される企画に混ざるらしい。
その前に養生避難するとは想像していなかったので、ひとネタできた感じがして自分の下心を疑いたくなる。
美術作家でも文筆家でもなく、ただ記録へのこだわりが強いだけの個人がいったい何を展示したらいいのかと思い悩み、結局いつも通り「記しては編むことへの執着の塊」を出すしかないと、展示用のウェブサイトをつくることにした。
「こんな◯歳になってるとは思わなかった」と毎年ぼやいている気がするけど、今が一番わけの分からない状況かもしれない。タスクの山に溺れながら、へんてこだなぁと思う。
Gさんがウェブデザイン用にサンプルで流し込んでくれた原稿は二年前の日記で「パートナー」の存在が綴られていた。画面を見ながら「え、誰のことだそれ?」と思ったのだけど、そうだそういえばあの頃はそんな人がいたなと気づいたのだった。
息ができないほどの喪失感はいつの間にか優しく癒え、お茶の師匠夫妻と、やんちゃな仔猫と一つ屋根の下に暮らす生活が当たり前になっている。
一歩も前に進まないように思える日々も、日記を振り返れば変化が見えてくる。だから記録はやめられないのだ。