猫の寝息を聴き、開いた口からのぞく歯を見ているうちに昼になった。贅沢な土曜日である。
猫の歯並びは興味深い。上下の鋭い牙だけでなく、繊細な形をした小さな歯も行儀よく並んでいてミニチュア的な美しさ! 腕の中で熟睡する猫の口元を触りながら感動した。
有事のざわめきが聞こえてくるとき、穏やかな日常に罪悪感を抱く人も少なくないと思う。
でもささやかな日常の幸福を理解することは、その真逆を行く、誰もが持つべき権利の侵害に怒ったり、暴力的な状況に想像を巡らせたりする杖にもなる。
しっかり自分の日常を生きると同時に、遠い誰かの日常を想像する。そのことの難しさと大切さ。
とあるポッドキャスト番組を聞いた後、ラジオにチャンネルを合わせたら、違う人の番組なのにまったく同じ話題に同じ切り口で語気を強めていた。
たしかにその人たちはそれぞれ思想が近くて、だからこそわたしもフォローしている。その発言には納得と賛同をするけれど、同時にひやりともした。
わたしは既に足場をそちら側に置いていることを自覚し、タイムラインの偏りを意識しておこうと思った。
鳥の視点で事態を眺める賢さは自分にはない。
何事も中立は存在しない。だからこそせめて選択的で自覚的でありたい。でも本当にそんなこと可能なんだろうかともやもや悩んでいる。
それでも、あらゆる権利侵害、暴力行為、搾取行為に反対したい。そしてそれらに言葉の力を用いることも。