コンビニでLサイズコーヒーを頼んだのに、うっかりMサイズのボタンを押してしまった。
寝坊もコーヒーが少ないのも階段で息が上がるのも全部低気圧のせいだ、と、思って過ごした昨日。
取材を受けたインタビュー記事が公開され、またひとつ、自分の特性が丸裸になる感じがする。
ありがたくて嬉しいけれど、悩みを明るみに出すのはいつだって不安で、どう受け止められるだろうか、と、複雑な気持ちでいる。
もしもわたし以外の人がリーダーならば、もっとスマートにやれるのではないか。わかりやすく語れるのではないか。歴史や時代の潮流と絡めて上手に進められるのではないか。
なんでこんなやり方をとってしまうのだろう。
昨日はたくさん人と話した日で、夕ご飯を食べながらまた悩んだ。
六十う代と二十代のメンバーの間で、一体なぜわたしがリーダーなのかと弱音を吐いて、結論としては「感受性」みたいな話になる。なるほど。
だけど感受性を仕事の場で道具的に差し出すということは、丸裸でなければいけないということだ。社会的な振る舞いの服を社会的な場でひとり脱ぎ続ける感じがする。
もっと他のやり方を身につけないとまずい、とも思ったのだった。それか、もしかしたら蛇口を取り付けて時々ひねるようなことが必要なのかもしれない。
悩み悩んでまた悩む。もちろんその過程に喜びも楽しみもあって、そこまで深刻ではないんだけれど。
コーヒーマシンのボタンはこれからも押し間違える予感がする。