リン酸、作土、耕起、硫化鉄、石灰、窒素。
二十六時のダイニングで、馴染みのない用語を読み上げる。テキストを開いて目に留まったフレーズでクイズをつくり、M氏に投げる。
「そこ読んだのに……わからん!」
「やった! 当たった! 」
と、ひとしきり盛り上がる彼の手元にはハイボール缶。
なかなか当たらなくて苦戦していたけれど、正解がでたところでミニテストは終了。就寝。なんだこれ、と、笑いながら眠りについた。
共同生活がはじまって三日目。
自分が在宅勤務になってからは人と暮らしたことがなかったので、ひさびさの「待つ」感覚にもやもやする。
それまでは、二十二時だろうと二十四時だろうと、何をしててもわたしの時間でしかなかったのに、誰かが帰ってくるという前提ができると、急にその時間が「待つ時間」になる。
外に出て働いている人がいて、家で作業したり過ごしたりしている自分がいる。わたしだってこの日は都心で仕事があって、締め切りを二本抱えていて、家に帰ってきたのは二十一時過ぎでへろへろだ。頑張った。
それでもまだ仕事は終わってないし、お風呂や食事を用意する余力もない
。
だけど、状況的には「待っている」のではないかと思うとソワソワして落ち着かない。自分が何か暇なような気すらする。
車で四十分ほどかかる仕事場から、うちに帰るよとM氏からの連絡が入ったのは二十三時半。日付越えるじゃない、大変だなと思う。
「無理して帰ってきてもらう」みたいな感覚と、「それに合わせてなんかしたほうがいいのかな(でもそれが当たり前だと思われたらいやだな)」みたいな思考と「疲れてる人を労いたい(その方がいいのかな)、でもわたしも疲れているしどちらが疲れているか大会にもしたくない」という感情がぐるぐるする。
いや普通にやれることをやれる人が気持ちよくやればいいんじゃ? という意見が正解だと思うのだけれど、自分の立ち位置とか、相手の求めているものがわからなくて気になってしまう。
わたしは生活スタイルを変えないままでいられて、相手には無理をさせて……という点にも後ろめたさがある。とはいえ、ジェンダーロール的にさ、わたしが待ってて何かをする(するべきなのにしてない)みたいのが当たり前になるのもさ……的な思考もやっぱり働いて、何かいろいろと落ち着かない。
考えすぎだとわかっているんだけど。あぁ、早速モヤモヤしてるし、家にいたくなくなってるよ、大丈夫かなこれで、と、まめを撫でながら思った。
(でもまめとは一緒にいたい)
当のM氏はたぶんそんなことは何も考えておらず、彼のいつも通りのペースで仕事をして、結果的にうちには二十四時過ぎにふらふらと帰ってきて、へろへろしていた。
お風呂つくったらはいる? と聞けば頷くので準備をするが、スイッチ一つ押しにいくだけなのにもやっとしてしまう。
が、気づけば本人は自分でスープを温めてるし、家にいたわたしが何かして当然だなんて別に思っていないようだ。そりゃそうだ。そういう人だもの。
雑念だらけのシミュレーションをしてしまっているのはわたしなのだ。家にわたしがいて出迎えると喜んだ、前夫の顔色を、なぜかそのとき、イマジナリーに伺ってしまっていた。呪いだなぁと思う。
なんだか落ち着かないので出迎えと雑談も早々に「今日はまだ仕事があるから、二時ぐらいまでやるから、寝ててね」と言ってみる。
不機嫌になるかな? 気にせず寝るかな? と、相変わらず内心ビクビクしていると、「あ、じゃあ俺もそれぐらいまでお酒飲みながら試験の勉強する!」と妙に嬉しそう。
今から? 意外と元気だね? と思いつつも、二手に分かれて深夜を過ごす。
しばらくして仕事を諦め、ダイニングに戻ると、ハイボール片手にテキストを読み込んでいるM氏の姿があった。
「完全に趣味なんだけどさ……」とその日初めて打ちあけられた、これから受けると言う資格試験のテーマは「土壌と化学」。土づくりに関する知識に興味があるらしい。
もともと海洋学専攻でプランクトン採取をしていたのに最終的にグラフィックデザイナーになったという、変わった経歴の人だけれど、どうも生物化学全般が好きらしい。
知らないことがまだまだある。
頑張って読み込んでいるので、寝る前にテキストからクイズを出したら「助かる! 嬉しいよ」と喜んでいた。スープを温めて待つよりも、抜き打ちクイズを出して遊ぶのがよいらしい。
知らないことばかりである。
他者とは謎の塊だ。
翌朝。「今日は洗濯するけど洗っておくものある?」と聞くと、「自分のものは全部自分でやるからいい」とのこと。そっか、それでいいのか、と思う。
気にしすぎない、気を遣いすぎない、でも心は使って楽しく過ごす、という塩梅をしばらく練習していくのだろう、わたしは。ひととの生活が久しぶりだし、持続可能な共同生活のためには、前の結婚で刷り込まれたものの更新も必要だ。だってこの人はあの人じゃないし、わたしも二十代のわたしではない。相手を見ないと。それが大事。
さて、それにしても、こんなことまで書いてしまっていいのかしら。