またひとつ大きな家具を買ってしまった。
ヤマト便のお兄さんがうめきながら持ち上げるほど重い、木製のペットゲート。玄関周りをこれで閉じれば、わたしの留守中もまめは家の中をあちこち移動できる。
気づけばキャットタワーだの、カメ小屋だの、猫用物見台としてのキャビネットだの、動物中心の家になっている。動物ぐらいにしか課金先がないらしい。
大物家具が増えすぎて、この部屋から引っ越せる気がしないな……と思ったところで、引っ越したいのだろうか、と、自分に問う。答えはノー。この家はとても住みやすい、大家さん先生との程よい距離を保った関係も気持ちいい。他に住みたいところがない。
次に引っ越すとしたらもうそれは、家を買うときだと思う。でも果たしてどこにどのような家を? どうやって? 考えても思い浮かばない。腰を落ち着けたい場所は特にないし、集合住宅は不得意だけど、一軒家を買うほどの甲斐性もない。手入れも不安が残る。
だがしかし夕方、近所のあまり行かない辺りを歩いていて、ふいにこの街が嫌になった。とても嫌になった。
ゴミだらけの裏通り。若者たちが笑いながら猫を追いかけていて、すごく感じが悪かった(猫はもちろん人間よりも俊足で逃げきった)。感じが悪いけど、彼らの姿は駅前の派手派手しい中高生よりも経済的に苦しそうで、小さな生き物を相手にイキがる背景を思うと胸が痛い。
チェーン店が並ぶビル群の裏は荒れていて、虚な目でぼーっとする大人や、気持ちを持て余し気味の若者がぽつりぽつりといる。営業してるんだからしてないんだかよくわからないお店の横は落書きだらけ。川は濁ってあまり流れず、橋の上から捨てたとわかるようなゴミがたくさん浮いている。
わたしはこういう街を知っている。自分が育った東京多摩地区某市のあたりにとてもよく似ている。
いろいろ思い出して苦しくなる。もう東京都心に住みたいとは思わないけど、ここに住み続けられる気もしない。遠くに行きたい、遠くに行きたい。たまに無性に思う。わたしの暮らす家と街の臍の緒が切れたらいいのにと思うことすらある。そんな無茶な。
夜、母からラインが来た。昼は父からもラインが来てたけど、今日は二人で登山イベントに参加したらしい。それぞれから相手の楽しそうな写真が送られてくる。母はピースをしている、父は帽子をあげて笑っている。
子どもから見れば、いろいろ大変な二人だったけど、こうして還暦を越えて楽しくやってる姿を見ると本当に偉いなぁと思う。離れたり移動したりが簡単ではない時代、環境、条件だったからこそ、何十年もかけて折り合いがついたのかもしれない。最近は二人のことが羨ましい。こんなことを思う日が来るなんて、両親のストレスに晒されていた子ども時代からは想像もつかない。
母に今日見たことを伝え、この街がいやだと漏らすと「わかるよ」と返事がきた。母が育った街でもある。あの感じ、きっと彼女も嫌だったんだろう。
写真越しに見る二人の山登りはとても楽しそうだった。「実地と思って登ってきたから、今度は一緒に行こうよ」とメッセージがきて素直に「登ってみたい」と返した。
わたしもまた、親との関係に折り合いがつきつつある。それは大切だしよいことだ。数年前からものすごく進んでいる。だから街や家ともきっと、そのうち折り合いがつくだろう。そう信じて、焦らずいこう。