2022年 10月14日(金)

倫理の殻

いただき物の「おおまさり」がとても美味しかった。

大粒の落花生で、水から火にかけ塩を入れて四十分茹でて食べる。茹でたでは特に美味しい。柔らかい身がむにむにつるつると喉に溶けていく。農家さんから分けてもらったものらしく、とても新鮮だった。

千葉県民はみんなピーナッツを常食しているかというとそんなことはなくて。わたしがこの品種のこの食べ方を知ったのは一昨年のこと。香取で暮らす作家さんのアトリエでご馳走になったときだ。

千葉に引っ越して五年が経つけど、知らないものも行ったことのない場所もまだまだたくさんあるなと思う。

昨晩、同じく千葉住まいのMさんと、行ってみたい県内の名所を挙げながらいつか巡ろうと盛り上がった。これまた初めて訪れた船橋のディープな居酒屋で焼き鳥をつつきながら。






数日前、フェイスブックに投稿したテキストに「倫理に誓いを立てる必要があるわたしの立場」とあり、自分のことながらそんなことを考えていたのかと怯んだ。

この二年ぐらいその「立場」で仕事をしているけれど、言葉にしてみると改めて重い。

「倫理的に生きる」のではなく、「倫理に誓いを立てる」というところがミソで、絶えず「倫理」から審判を受けているようなプレッシャーを感じる。そりゃあ調子も崩すし、眠れなくなるはずだ。

昨日、久しぶりに開いた三好春樹さんの本に「介護の現場で働いていると、懸命に相手のことを想像し、その人らしく希望にそぐうように努力するから、自然と倫理的に生きることになる。介護職が倫理的な職業なのではなくて、介護を大真面目にやると倫理的になるのだ」という主旨の文章があった。

それこそが本来的な「倫理」のおろし方だと思う。頭でっかちになるだけではだめなのだ。

わたしが本当に倫理を大事にしたいなら、空に向かって誓うのではなくて、ひとに心から関心を持ち、愛情を抱き、自分自身の機微も大事にして、右往左往しながら進むべきだと改めて思った。

そんな感じの身体を取り戻したいなと思う今日この頃。

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