今日も朝から晩まで、まめに留守番を頼んだ。ここのところ外出続き。
ぐずぐずしていたら3月になってしまい、大慌てで企画進行を巻き返しにかかる。まとまりかけの企画書には穏やかなテーマを添えた。
「有事にそれでいいのか」と冷ややかな目を向ける自分がいる一方で、「大きな物語に飲まれて日常をおざなりにしたらだめだ」と腕を組む自分もいる。踏ん張っている方を信じてみる。
企画のための下見に向かう途中、スマホの画面に「原発攻撃」「火災発生」の文字が浮かんだ。
瞬間、総毛立つ。わっと怒りが湧き、続いて絶望が襲った。今までのどの情報より、反射的に感情が湧く。大震災での原発事故が、自分自身の痛みとして刻まれていたのだと初めて思い知る。
地続きの他者を、未来の世界を、慮ることができない利己的な暴力に、何もかも無駄なのではないかと自暴自棄になりかける。
ふと思い出して五年前の日記をひらいた。襟裳岬を超えて、長距離ミサイルが海に落ちたその日、三十二歳のわたしは現実味のないニュースのそばでぼーってしていた。共振する相手がいないと危機感が鈍るというようなことをぶつぶつと綴っている。
二〇二二年のわたしは、通り過ぎた感情の轍を抱えて、ひとの家に向かった。ねぇ、あのニュースさ、と、話しかけに行く。
戦火のことも仕事のことも家族のことも同じお皿に乗せてたっぷり話す。終電近くになり、アイスキャンディを食べながら駅まで送ってもらう。
彼女の家の大家さんにご挨拶して、自分の家の大家さんにショートメッセージを送り、まめのいる部屋を目指す。家はその人そのもので、面白かったなぁと味わいながら帰途につく。
ここが穏やかであることは確かで、でも穏やかであり続けることは確かではない。どうしたって遠い場所の危機を想像する。想像し続けることはとても難しいのだけれど。