「英語やらない?」
「一緒に勉強しない?」
「英語ができればできることを夢想しながら」
朝、M君からメッセージが届いた。英語学習への関心はそこまでなかったけど、「いいね、やろう」とふたつ返事で乗る。同時にこの人は恐ろしいほど優しいなぁと思う。
前日、遠方で取材があって、素敵な人にインタビューができた。刺激的だったし、いい記事になりそうだし、自分自身も生き方や働き方をあらためて考え直したくなるような時間だった。と、書けばきれいなんだけれど、正直「あてられた」感覚がある。
取材で聞いた話、考えたことについて、帰り道はずっと考え込んでしまい、羽田空港から地元に向かうリムジンバスの中でM君にメッセージでその気持を吐き出したのだった。
「いい人よりも、いい仕事をする人でありたい。ずっとそう思ってきたのにわたしは全然できていない」というような内容で、そのヒリヒリした気持ちをもっとも共有できるのは彼だった。そうして遠隔で話し込むうちにどうにもままならない日常や立場の話題になってしまって、少し落ち込む。M君もその状況をよくわかっている。
わたしの身動きのとれなさを察して、「今できていないことにとらわれるより、明日やることをつくって気持ちを変えよう」というような意味で翌朝、英語学習に誘ってくれたのだと思う。
「あなたはこうすれば」というアドバイスではなく、「自分も同じく苦しいし、一緒にやってみない?」という誘い。それができる彼は底抜けに優しい。本当にいい友人、稀有な人。
でも、親しくなりすぎるといつか離れる日がくる気がして一抹の不安がよぎる。M君とはそうならないようにしたい。大事な友人ができるたびにいつもそう思っているんだけどなぁ。なぜ入り込みすぎてしまうのか。
それにしても英語。苦手意識は強いけれど、失敗しながら一歩一歩進む目標があるのはいいかもしれない。
そう思ったら勇気がでてきて、今日のお茶の稽古では珍しく着物を着ていった。相変わらず着付けが下手で、恥ずかしい思いをしたのだけれど、それだってやらないことには上達しないなと思って。
大家さん先生は「たしかにちょっとあれだけど、着てきたことがまず偉いわ」と言ってくれた。身の回りには優しい人が多い、本当に。