土曜、日曜ともにだらだら働いてみる。
そこそこいい資料も制作物の準備もできたけど、本当にやるべきことはまだのこっているし、「そこそこいい」から抜け出られないことが悔しくて歯軋りしたくなる。
近所のサイゼリヤは相変わらず一曲をループしている。こんなときは、たくさん食べて飲むとすっきりする。
満たされるのは舌でも腹でもなく喉。喉を何かが通ったということで、生きてる感じがする。
飲食物に喉越しだけを求めるときがある。お酒は健康に関して適切な判断をくださないために飲む。
「人生百年時代だなんて絶望する」と、四国生活で母に漏らしたら.「大丈夫。わたしもあなたもたくさんたくさん添加物をとって不摂生してきたからそんなに長生きできないよ。安心しなよ」と言われた。
ふたりで顔を合わせてにやりと笑った。生みの母に、特に長生きを望まれてないことに安心する。そのとき初めて母と気が合うなと思った。
という闇落ち気味の週末。
でもみんなきっとそんなもんだよねと思う。えっちらおっちら、生きるしかないのだ。