今年最後の燃えるゴミを出し切ろうと少し早めに起きた。
そのまま大掃除をはじめる。
わたしは台所ほか水回りをやるつもりだったけど、コンロのコゲ取りに手間取っている間に、Mがぐんぐん掃除を進めて寝室もトイレも風呂も冷蔵庫もやってくれた。ありがたい。
そして掃除しながらソファ下からわたしの結婚指輪も発掘してくれた。びっくりして息が止まるかと思った。
もう出てこないと諦めかけていたので本当に嬉しかった。
物事をすぐに何かの象徴にしたり、文脈に紐づけるのは良くないなと思いつつも……だって、さすがに、というアイテムだったので。
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今年の正月のテーマは無理をしないこと。
少し前、年始の義実家親族会に行くかどうか聞かれて、Mからは「無理をしなくていいと思う」と言われた。
わたしもそう思っていたので、行かないことにした。義母の気性と行動が相変わらずとても難しくて、彼女の言動に当てられて新年から崩れるのは避けたかった。
結婚してから三年、込み入った事情があってそもそも新年会には一度も参加できていないし、そのことに不服表明するために毎年わたしだけ遠方に出かけているので、今更「ちゃんと」しなくてもいい。無理をしない。何を言われても思われてもかまわない。
かといって自分だけがコストや体力をかけて避難するのもいい加減疲れたので、シンプルに無理をしないことにした。
そしてMにもはじめて「新年はわたしと過ごすことを優先してほしい」と伝えた。
もちろん彼の選択に任せたけど、震えるほど緊張して捻り出したその一言はあっさりと「そうだね、実家も弟一家もいつだって会えるんだからいいよね。行かない」という言葉になって返ってきて、近所の沼で焚き火でもすることになった。
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無理をしないのはそれだけでなくて、正月だからと料理をしようと頑張りすぎたり、掃除を完璧しようと頑張りすぎたり、そういうこともしない。
今日は近くの百貨店まで買い出しに行き、「三が日こまらないぐらい買いだめしよう」というMについて、お惣菜コーナーを回った。
Mは毎年鴨蕎麦をつくるのが習慣なので、いい鴨肉が欲しいんだろうなと思っていたのだが、ふだん倹約家の彼がぽんぽん正月惣菜を買っていくので驚いた。
休もう、無理しないで過ごそう、と、言われてるのだと理解した。あと今年は一緒で嬉しいんだろうな、とも。
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今、数年ぶりに、とてもリラックスしている。
わたしにとってここ三年、盆暮正月は落ち込みと怒りのスイッチポイントがあちこちに埋め込まれたような季節で、師走はいつも辛かった。
いつまでも解決しない、なおかつ自分にはアクセスできない家族問題に四六時中不安を感じ、やり場のない気持ちに苛まれ続け、それが年の総まとめ的に具体的な形で迫ってくるのが正月だからだ。
解決を待ちすぎて、乱高下を繰り返す自分の心身にも疲れ、さすがにもう今年で最後かなと思っていた。もう関係自体を整理した方がはやいと感じていた。
なので昨日突然、二大家族問題の一つがぐいと進み、当事者達が怯えていたよりずっとよい形で一区切りついたことにわたしも驚いている。
遡れば思うことだらけの事案ではあるけど、激しい議論の末、問題点を理解した後は、苦手なことから逃げず、粘って粘って、ときどき追い詰められて泣きながらも行動で示した夫。
過去の清算、間違ってしまったことの巻き戻しは難しい。わたしとしてはなぜそこを間違うんだという気持ちでいっぱいだけど、間違えた地点に戻って針のむしろの中踏ん張ってよくやったなぁとは感嘆してる。
徹底的に不器用で、自分を守る選択肢が持てないことで巻き込み事故を派手に起こすぐらいなのに、そこからここまで踏ん張れるとは。こういう人をわたしは他に知らない。事情的に褒めたり喜んだりしていい場面ではないので口にしなかったけど、凄いとは思った。
またそれがわたしたちの暮らしや人生に対して、彼がとれる唯一の態度でありメッセージだということも受け取った。
身近な人が再び信じられるかもと思える日はいい日だと思う。
不安が和らいだこの日々が少しでも続きますように。まずはゆっくり休もう。