「このような一応の自立のあとで、人間はそれほど自立しているものではないことを、中年になると自覚してくる。」
—『中年危機 (朝日文庫)』河合隼雄著
生活と仕事と交友が、ごろごろと勢いよく転がっていく。
先月まであんなに馴染んだ山々の気配は幽霊のようになり、郊外のまちなかにいることの違和感もだいぶ和らいだ。
笑ったり緩んだりする時間も手元に戻ってきて、何かを大きく失ったり、追い詰められたりしているわけでもない。なのに日に一度は「残りの人生」を思って呆然とする。
これあと何年? 起きて食べて働いて食べて話して食べて寝て起きて洗って歩いて食べて悩んで働いて食べて笑って寝て……を、あと何年続けるんだ? 途方もない。
息をして生きていく期間と、生きていくのに必要な物事を自分一人で管理できる期間にはズレがある。その間隔はどのぐらい空く? やっていける?
もちろん生の長さも心身の状態も自分で選べるわけではないし、誰かが予想したり約束したりできるわけでもない。
しかし明日命が途切れる不安より、この先何十年もあてどもなく人生が続く不安の方が大きい。表面的には毎日忙しいのに「人生が暇」だとすら思えてしまう。
そんなこと、35歳ぐらいまでは考えなかったのになぁと頭を抱える。今では毎日考えてしまうのだ。
それでこれはもしかして、コロナ禍とか忙しさとかは関係なくて、年代の問題なのではと思い至り、キンドルで河合隼雄さんの『中年危機』を読みはじめたらどんぴしゃだった。
あまりにもおもしろすぎて憂鬱すら忘れてぐんぐん読んでしまう。
本を読んだところで悩みが解決するわけではないのだけれど、中年とは普遍的に苦しいものなのだと言われることそのものには癒される。
河合さんが紹介するさまざまな文学作品がその証拠として顔を揃え、だから物語はよいのだとあらためて思った。
故人も含めてたくさんの先達が歩んだ、「春以外の季節」をこの世に生まれた証として、わたしは今、味わっているのだ。