「『オルタナティブ』とはすでにある二者択一の選択肢の他にもう一つの方向があるのではないかという考えを示します」
二〇〇四年、わたしが通っていた大学の美術館で開催された「衣服の領域」展のことはいまだに忘れられない。
美大という場にいれば創造的な物事に出会えるかというとそんなことはなく、結局は己でなんとかせねばならぬのだと気づいた頃、初めて大学にきらきらしたものを感じたのがこの展覧会だった。
その企画監修を手掛け、2006年に70歳で教授を退官し、その後も精力的に活動し続ける小池一子さんの仕事を振り返る「オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動」に昨日伺った。
「アートとデザインの」という、言葉を並べるのは簡単だけども、実際に横断するのは難しい二両域で活動してきた小池さん。年表をながめたとき、私が立つ「37歳」の先にまだまだ長く続く活動があって、眩暈がするほどだった。
見終わったあと仲間たちとまず最初に「体力がとんでもない」という話をした。才覚もセンスもすごいのだけれど、魂を支える器の強さがまず段違いというか。人生をあと三回やってもその仕事量に叶うことはないだろう。
あと小松真弓監督の映像もビビットですごくよかった。アートとデザインを本当に横断できていたのか? という問いかけも潜んでいて、あの映像を自ら真ん中に置くキュレーションがまたすごい。小池さんの仕事を紹介するようでいて、大切にしてきた人たちのワークを骨太に魅せる。いい仕事だなぁと改めて思う。
仕事量。最近、人生で初めて自分で武道館公演のチケットをとってライブを観に行ったのだけれど、そのとき思い馳せたのも仕事量のことだった。ひとつの表現は、ステージは、活動は、運動は、とてつもない「仕事」の上に成り立っている。
そう考えたとき、30歳以降方向転換した自分のやりかたに、結構な不安を抱く。本当はもっともっとヒリヒリしたところにいた方がいいんじゃないか、とか。いやでもそれしかない世界はもう避けたいな、とか。
わたしには太くて新しくて大きなものはとてもつくれないけれど、そうではない小さくてやわらかい方法を重ね、結局それらを束として強く新しくしていくしかないのだなぁと思ったりする。
弱いだけでもだめなのだ。などと、もやもや。