2022年 4月3日(日)

ヘルニアカレー

とにかく美味しいカレーライスを食べた。 

煮込みに煮込んだひよこ豆と鶏肉、複雑な香りのするスパイス、ほどよい硬さのタイ米。

どこで食べたかというと、ヘルニアで寝込む弟の横で食べた。






弟とのことを書くのはいろいろ難しい。

わたしは彼をおもしろい人間だと思っているけど、彼はわたしを激しく拒絶したことが過去に二度ある。

最初はわたしが二十歳で彼が十七歳のとき。ある日突然、一切口を聞いてくれなくなった。

理由は薄々わかっているのだけど、彼を傷つけたというより、彼にとってわたしが気持ち悪くなったのだと想像している。

その頃は家族全員が煮詰まっていて、家の空気に耐えられなくなったわたしはその後、就職してすぐに実家を出た。

二度目は一昨年。

疎遠だった弟と十年かけてぼちぼち話せるようになり、お互いの人生にいろいろあった結果、祖母が残した一軒家で共同生活を送ることになった。

シェアハウスのような生活は思いのほか心地よく、料理上手の弟にいろいろなものを食べさせてもらった。

台所で飲みながらたくさん話もしたし、わたしは美術、彼は映画の分野に関わっていて、作品や表現について話題が尽きなかった。

しかし、彼はある日突然、口を聞かなくなり、姿を見せなくなり、そして失踪した。人生二度目の拒絶だった。

今となっては理由はわからないし、詳しくも聞けない。

コロナ禍がはじまった初期のことで、その時期の閉鎖感が、彼の中の苦しい経験を刺激してしまったのかもしれないし、以前のようにわたしの中のなにかが彼のアレルギーを呼び起こしたのかもしれない。

ともあれ彼は消え、わたしは肉親に拒絶されるという痛みをまた負った。

ちょうどそのとき当時の恋人とも別れ際で(関係はよかったが明らかにとりつくろった仲の良さで)もう全部嫌になって引っ越しして今に至る。

当時のわたしとしては古い家とともに捨てられたような気持ちで、その出来事そのものも捨てたかったのだと思う。

弟には拒絶癖があり、わたしには逃亡癖がある。しばらくして弟は空になった祖母宅に戻り、少しは連絡も取れるようになったが、関係は冷えたまま。

その後は郵便物の転送と光熱費の支払いだけ連絡するような間柄になっていた。

どこで暮らしているかはわかっているけれど、どう暮らしているのか息をしているのかは常にわからない人間。それが彼だった。






一昨日。そんな弟がヘルニアで倒れているらしいと母から連絡をもらった。

日頃は母にすら連絡しない彼だったが、にっちもさっちもいかなくなり腰痛の先輩として思わず電話をしてきたらしい。

それを聞いてわたしもすぐに電話をかけてみた。

普通に通じたのが意外だった。一歩も動けないなら食糧や必要物資を届けるよと言うと、「助かる、ありがとう、お願いします」とのこと。

なので今日は空のトランクとリュックを背負って家を出て、途中で着替えやら食料やら日用品やらを詰め込んで、懐かしい家に向かった。

弟は居間にマットレスを敷いて寝込んでいた。

雨戸は閉まったまま、寝床の横に広げられたモニターやPCや特殊なキーボードはハッカーの秘密基地のよう。

物資の補給ついでに掃除や換気もした。洗い物が溜まっていて、ゴミも溢れていた。

食品の確認をしていると、腰痛がひどくなる前につくったカレーが冷蔵庫にあって、食べようということになり、温めて一緒にいただいたのだった。






もともと弟の料理は美味しいと思っていたけれど、昨日のカレーはちょっと度を越していた。びっくりしたと感想を伝えると、料理の腕をここ二年で磨いたのだという話をぽつりぽつりとしはじめた。

それは彼の創作の話と近況にも絡まり、カレーを食べ終わる頃には、去年、実は映画祭で初めてつくった長編作品が上映されたのだということも告げられた。 

彼がわたしと共同生活をはじめたのは、映画をつくるためだった。

詳細は割愛するけれど、ともあれその生活は三十歳で突然はじめた創作活動のためにあり、彼が失踪しわたしが転居しふたたびその家に彼が戻ったあとも続いていたらしい。

帰り道に映画祭の情報を検索して、たしかに確認した。そのあと弟に連絡して本編も見せてもらった。

監督・脚本・撮影の三役を演じたプロフィールには無職を繰り返したことが綴られていて、監督メッセージには「自分のことを話すことが苦手な人たちを撮りたかった。そういった思いから撮影を始めました。

少しでも多くの人にこの映画に出てくる人たちの話を聞いてもらえると嬉しいです」とあった。

ロケ地協力にはわたしの名前もクレジットされていた。知らなかった。

「自分のことを話すことが苦手な人」と聞いて、わたしはまず弟のことを思い出す。一方で、劇中に出てくるその逆の人々は、わたしのような人間を想定しているんだろうなとも思う。

少し傷つきつつも、納得するというか、何かに近づいたような気持ちになった。

君は君の方法で、わたしはわたしの方法で、生まれたときから目の前に続くでこぼこだらけの道を埋めて進むのだな、と。

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