2022年 4月12日(火)

涙腺崩壊

ぽろぽろ涙が溢れるのをいちいち拭いて、その惨めさに余計泣けるぐらいなら、うわーんわおーんと大声をあげて泣くことにしている。

漫画みたいな、子どもみたいな、大袈裟な泣き声。

子ども時代と違うのは、訴えたい相手がいないことだ。ひとりぼっちの部屋でうわーんわおーんと雄叫びをあげるのがミソである。

猫も亀もキョトンとしてるが、それでいい。ひとりの家でしくしく泣いたら気持ちの穴から戻ってこれなくなる。こういうときは叫ぶに限る。

うわーんわおーん。

悔しいのか悲しいのか不甲斐ないのか腹が立つのか傷ついたのか苦しいのか恥ずかしいのかわからない。というか全部入りでぐちゃぐちゃなのだ。その感情を向ける先も実はよくわからない。

問題の入口は大したことではないのだけれど、掘り下げていくと虚しさとか至らなさとかにぶち当たってしまって。しかもその状況を上手に説明できなくて、悪意なく向けられた指摘に、心の肉をもがれてしまう。

それでわおーんなんて雄叫びあげるのだから、なかなかの事態である。今、あまり調子よくないんだな、と、こうして日記に綴るとよくわかる。 

子ども時代ならこのままふて寝しただろう。三十七歳の現実はそんなに甘くない。

叫んだ後もしっかりめのオンライン会議が三本続いた。スケジュールをひきながら、構成をつくりながら、タイムラインを確認しながら、タスクリストをつぶしながら、ときどき猫に噛まれながら時間は過ぎていく。 






そんな一日の隙間に、一通のメールが事務所のウェブサイト経由で届いた。

小学生の頃通っていたピアノ教室に、アルバイトとして来ていた先生からだった。

週末のイベントについてたまたま知って、わたしの名前を見かけて、同姓同名かなと思いつつ検索してたどりついたそうだ。活躍してて嬉しい、応援してるよ、とのことだった。

今度は別の理由で号泣した。

わたしの子ども時代はうまくいかない思い出ばかりだけど、その先生はわたしが友達と妄想していた物語を面白がって、一緒に音楽劇のかたちしてくれた人だった。もはや全然ピアノ関係ないのに発表会で上演させてくれた。

子どもの台本を馬鹿にせず真摯な表現として受け止めてくれて、知らない曲やダンスを教えてくれた。ピアノも、教室の主の先生も好きになれずじまいだったけど、その若い先生だけは信じられた。

バンド用の練習スタジオを借りて稽古に付き合ってくれたり、おうちに遊びに行かせてくれたり。

奥にしまっていた記憶が蘇ってくる。思い返せば、集団から浮きがちなわたしの尊厳を尊重し、守ってくれた大人は確かにいたのだ。

おかげさまの今である。相変わらずえっちらおっちらだし雄叫びあげてるけど、見つけてもらえるぐらいには生きられていて、居場所も仲間もできた。

と、いうことに気づいてしまって再び涙が止まらない。

うわーんうおーん。

泣いてばかりで変な日だ。涙ってなんなんだろう。悲しくても嬉しくてもぐちゃぐちゃでも出てくるなんて節操なさすぎではないか。

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