昨年末から今年二月にかけて書いてきた日記の編集をはじめた。
タイトルは『養生避難日記』。四国に養生避難していた二ヶ月を振り返りながら、山が恋しくなったりヤギが恋しくなったりしている。
日記を書いたわたしと、それを編集しているわたしは同じ「わたし」なのだけど、今回もまた距離を感じる。あなたはそう感じてたのね、とか、でもここはこの言葉遣いじゃ伝わらないよ、とか、同じエピソードの繰り返しはくどいから削りましょう、とか、話しかけながら進めている。
そうこうしているうちに、わたしの話はわたしだけの話ではなくなり、わたしの悲しみとか喜びもまた、わたしの身体からするすると離れていく。
そうやってやっとこさ生きていける。公開型の日記をはじめて五年。日記本をつくるのは三冊目。書いたことも書かなかったことも全部、わたしを経由してどこかに流れていった。
子どもの頃から「恥ずかしい」「悲しい」「悔しい」といった感情が身体の内側に残りやすくて(記憶に残るというのともちょっとちがう、何かのきっかけで想起したときに身体ごと反応してしまう感じ)、そのことが足取りを重くしてきた。けれど、日記の執筆と編集をはじめてからは上手に忘れることができている気がする。