うまくいっている物事と、不穏な物事とが並行していると、不穏に飲まれる心配がつきないのはなぜだろう?
今の自分にはうまくいってるほうに寄せられると思い込む力が必要な気がする。
友人から「会話が苦手だと思う理由がわかった」と連絡が届く。わたしのことを会話上手だと褒めてくれたけど、キャッチボールはしてなくてただの我田引水のお喋りだと自覚していることを明かす。
というか世の中ではそんなに、会話が成り立ってる例なんてないと思う、本当のところ。盛り上げ目的の合いの手は会話に入らないし、話題はあちこちに行く方が面白い。噛み合わなくてなんぼでは。で、それでいいのでは。
豆なかのさんで買ったコーヒーがとても美味しい。嬉しくて一日に何回も淹れる。ただ袋のままダブルクリップでコーヒーを留めてるあたり、生活の荒れ具合を感じる。みんなどうやって管理してるのかな?
仕事の山場が重なりすぎてるので、もうこれ以上請けるのは無理だと某ボスに伝える。
目眩が定期的にやってくるのを、睡眠を増やしてごまかしている。目眩が来たら強制終了。
こんなんで自分以外の人生を引き受けられるのだろうかと不安になる。が、ここ三週ほど地獄の進行で休みのないM氏も同じ状況である。大丈夫なのだろうか、お互い。
つくりおきのスープにブロッコリーを入れてはいけないことを学んだ。どんどん色が出て、汁が黒くなる。味は美味しいのだけど視覚的には悲しいことに。
まだ闇落ちはしていない。日記文の構成をとる余裕がない今も、残すだけの気力はあるようす。