2023年 1月15日(日)

家族へ

流産について、何人もの友人からメッセージをもらった。それぞれ心配してくれている。ひとによっては苦しかったり悲しかったり涙ぐんだりしてしまったようだ。

想起させてしまったかな……と胸が痛む。「本当によくあることだからみんな言わない」と自分で書いたけれど、それはつまり、言わないだけでたくさんの人が経験したり触れたりしたことのある痛みだということ。言いがたい出来事でもあるということ。

みんなが言わないことをわざわざ人目につくところで書くべきなのだろうか。痛みを伴うような内容をどこまで書くべきなのだろうか。

もちろん、そういう煩悶は抱えた上で、書いた。わたしにとっては、書くことは「在った」ということで、特に今回のことは無かったことにはしたくなかった。

一般的には触れ難い、悲しいこととして扱われるかもしれないけれど、その手前には期待やわくわくや喜びがあって、過ぎ去った後には命への発見と驚きがあった。

そのこと含めて残したいと思ったのだった。誰かの傷をつついてしまったとしても仕方ないという腹づもりで。

公開投稿は難しい。今回のような経験じゃなくとも、幸せいっぱいの情報がひとを傷つけることもあるし、大したことのない日常が怒りを呼ぶこともある。

セルフィッシュじゃなきゃこんなことできないな、わたしは相当なエゴの塊だよなぁと自覚しつつ、声をかけてくれた人には本当に感謝している。

わたしは大丈夫。あなたは大丈夫? を繰り返しながら、いろいろ感じた二日間だった。それでもあなたとこの話ができて嬉しいです、と思いながら。






というような話をソファの搬入・組み立てをともにしたM氏と交わして、できあがったソファに並んでまた少し話した。

その流れで匿名とはいえ、公開日記に結構な頻度でM氏が出ていることを今更伝えた。意外だったようだけど、別に構わない様子。よかった、そういうところがありがたい。

今月はわたしも彼も激務の最中で、ソファを組み立てた後はすぐに解散。それでもいろいろやることだらけ。

子の有無に関わらず、家族として生活していくことは、わたし達にとって自然な気がしている。だから年始に決めた予定通りに結婚する話を進めている。

わたし達は両方とも再婚だけど、彼の母もわたしの母も喜んでくれた。最後の関門はうちの父。

今日、嫉妬深い父に電話をかけると、「衝撃だった」と言いつつも「まめがいいならいい」「おめでとう」とのことで、なぜかまめが最終決裁者になってゴーサインが出たのだった。来月は四国に行く。

独立した大人だから、別に誰に何を言われたって進めればいいわけだけど、それでも身近な人に応援や祝福をもらえるのは嬉しいし、M氏も含めてみんなでやっていけるとよいなと思う。「人生や家族のことは一回きりだから難しい」と彼とはよく話しているけど、少なくとも結婚はお互い二回目である。少しは学びと反省を活かしたい。

まだまだ手続きは先だけど、ひとまずの一歩。

抱えるものが増えるのは大変さもあるけど、自分ひとりの人生では起きないようなことに出会えるのはそれはそれで楽しい。さぁ、年度末をがんばろう。

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