もう若くない。
それはつまり、徹夜は無理だということ。朝方まで仕事をしたら翌日は潰れてしまうということ。結果的になにひとついいことはないということ。
ということで土曜日、寝坊した。
ふかふかの冬毛になったまめは、生きた湯たんぽそのもの。ぴったりくっついて寝息をたてられたら、二度寝でも三度寝でもしてしまう。
いつものまめは夜明け前から起こしてきてうるさいというのに、なぜかその日はダラダラ寝モードで、しっかり眠った。気づけば十時十五分。びっくりした。
「寝坊しました。今起きました。どんなに頑張っても十五分遅刻します。本当に申し訳ありません」と、大家さん先生にショートメッセージを打った。
寝ぼけまなこで飛び込んだ茶道教室では、先生と同門の生徒さん達が笑っていた。「正直すぎる。そういうときはもっと適当な理由つけるものよ!」とのこと。たしかに……と思いつつ、同じ建物に暮らしていて「電車が遅れました」とも言えないしなぁ、なんと言えばよかったのか……と稽古に参加しながら思った。
起きてすぐの茶道は案外悪いものでもなくて、むしろいつもより集中してできた気がする。先生からは「メリークリスマス」と、サンタ柄の茶碗で薄茶を出していただいた。干菓子もサンタで、いつもより豪華なお菓子が並んでいた。
夜。「ずいぶん自由なんだね、あなたのところの教室は!」と、買い出しに行く途中の車内でM氏が笑う。まるで子どものように起きたことを報告するのが週末の恒例になりつつある。
M氏の母上もお茶の師範なんだそうだ。話を聞くだけでも厳しそうな人だし、うちとは別の流派なので、わたしがお茶を習ってることはとにかく言わないで欲しいと伝えている。彼は彼でそんな環境に育ったので、茶道が苦手らしい。
面白いもんだなと思いながら、師走の週末をまたひとつ乗り切る。今週の鍋はしゃぶしゃぶだった。
そういえば教室の帰り道、大家さん先生に「彼と何かあったら言うのよ。一緒に飲んで話聞くぐらいはできるからね」と言われた。「あなたの過去のことを思い出すと、心配なのよ」とのことで、わたしは一体何を話したっけ……と思い巡らす。
あ、そうだ、過去の日記三冊全部読んだんだっけ。そりゃ心配なはずである。わたしも忘れているような生々しく痛々しい傷を、先生の方がフレッシュに思い出せるのだ、読者として。
改めて自分の日記を知っている人が読んでるって、変な状況だよなぁと思う。嫌な気持ちでは全くなくて、むしろ話が早くて便利だと感じてしまう自分は愚かだろうか。このあいだもお茶の生徒さんに「先生に日記本を渡す日の日記を読んでどきどきした」と言われたばかり。入れ子構造がすごい。