宿題は山積みで働かねばと思うのだけれど、長距離移動明けでパソコンを開く体力が足りない。
だというのに夕方届いたキャットタワーは組み立てた。何をやってるんだろう。
組み立てながら、これはぎりぎり一人でできるやつだな、と、思う。
腕が上がらないとか腰が痛いとか骨が脆くてあぶないとかだったら躊躇する作業。タワーはいいとして、今後本当にできないことがあるとき、わたしはどうするんだろう?
連休中はずっと七十代が主役の海外ドラマを観ていて、今日は主人公の一人が、家族にも年齢を詐称し続け、実は八十歳だったことを知る。衝撃の展開である。
しかもシーズンを重ねるごとに友情と愛というテーマから、心身の衰えと尊厳、自尊心、人生を巡る後悔の話になっていく。
破茶滅茶な展開のコメディだから基本は笑ってしまうんだけど、そんな自分に「あなたの話でもあるからね」と指さしが向けられてる感じがする。
特に、主人公達が意にそぐわず入居した高齢者向け住宅を飛び出し、「年寄り扱いはやめてくれ」と、売れてしまった元の家をスクワット(不法占拠)するシーズンではいろいろ考えてしまって。
わたし自身、かつて歳上の人から打ち明けられた苦しみを自分と地続きのこととして受け止めていなかったことに気づく。大変反省する。
ドラマひとつでそんなことを考えるのに、なぜ日常で気づけないのだろう。
夕方、青森のお土産を大家さん先生に渡す。お返しにゆで卵入りのカレーパンをもらった。なんて素敵なチョイス。
後になって母より年上の先生のことを「老年の人」と扱っているかと自分に問うてみる。まったくそんなことはない。
先生は先生。その人でしかない。そうなんだよな。そういうことだよなと一人で思う。
ちなみにまめはタワーに登ってくれそうにない。