膨大な記録を読み、圧倒されたわたしがしたことは、風呂の排水溝掃除だった。
忙しい忙しいと言いながら、午後の会議で話題に出たリー・アンダーツさんのブログを一気読みした。
急ぎの仕事の合間を縫って、結局四時間ぐらいかけてしまった気がする。
リーさん(仮名)とそのお母さんの壮絶なすれ違いというか、どうにもならない日常から終わりに向かっていく記録群に……言い方はむずかしいけれど、夢中になってしまう。
文芸でもエッセイでも、文章を読んでいる間にはいろいろな言葉が浮かぶけれど、リーさんの抱えた現実とタフな筆力はまったくその隙を与えてくれなかった。
すさまじい。
虚栄を手放すことができないお母さんと、ひたすら苛立ち対応していくリーさんのやりとりを眺めながら、気になったのはなぜか我が家の排水溝のことだった。
わたしもまた、見栄張りというか、他者から見えない淀みは誤魔化す癖がある。
人間としての弱みや間抜けさを開示しているようで、もっと本質的なところでやばいものを抱えているのではないか、と日々思う。
それがリーさんのお母さんの他者を巻き込む金銭感覚だったりゴミ屋敷化させてしまう「潔癖症」に通ずる気がして急に不安になった。
誰の中にも「彼女」はいると思う。
そうして以前から自分のだめなところの象徴として気になっていた排水溝と向き合うことにした。唐突に。
「お宅のシャワー、水圧がすごいですよ! これだけ強力だったら、流すだけで十分きれいになります」
いつだかに興奮気味に教えてくれた、清掃業者のお兄さんの話を思い出す。
たしかに。勇気を持って蓋を外してしまえば、シャワーだけで八割は片がつく。
こんな簡単なことができないなんて。いや、できないんだよね、それもわかるよと思いながら。
今日は苦手な電話も頑張った。電話をとるのも留守電を聞くのも苦手なんて、説明がつかないのだけどそうなのだ。
まめ菌由来と疑われる、右手の腫れはなかなかひかない。
三十秒で診断してくれるような、工場みたいな病院ではわりと柔らかめの薬が処方された。効いてないのかもしれない。
ビー玉大の腫れがパチンコ玉大ぐらいにぎゅっと硬くなり、ズキンズキンと主張してくる。右手はここだ、右手はここだよ、と。
さて、今週もはじまったな。頑張ろう。